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日本人の代表的職業・洗濯店
 

近郊農業を営む日本人も多かった

 

アルゼンチンにおける日本人移民と日系社会の成立

現在アルゼンチン国内に在住する日系人は約
35,000人。戦前・戦後を通じて日本人は海外を目指し、広大な国土に対して人口の少なかったアルゼンチンにも定住しました。

 アルゼンチン史に始めて登場する日本人は「フランシスコ・ハポン」という人物で、1596年にコルドバで奴隷として売買されたものの解放を要求して裁判所に訴え、自由の身になったことが分かっています。日本人がこの地に移住したのはさらに約300年後、1886年に英国船の乗組員としてアルゼンチンに入港し、コルドバに定住した牧野金蔵が定着移民第1号とといわれています。その後、日本とアルゼンチンの間に国交が結ばれ、正式な日本人移住が始まりますが、当時のアルゼンチンはヨーロッパからの移民を優先していたこともあって、戦前の日本人移民はブラジルのように集団労働契約に基づくものではなく、ほとんどがブラジル、ボリビアなど隣国からの転住と家族の呼び寄せでした。渡航費用を借金して南米各国に入植した移民らは、コーヒーやサトウキビ、ゴム農園などでの過酷な労働からよりよい条件を求めてアルゼンチンに向かいました。中にはチリを経由して雪のアンデス山脈を越え、アルゼンチンにたどり着いた人たちもいたといいます。

  1910年代から20年代にかけて移住した日本人の職業は、工場での労働やメイドとしての家庭奉公などが中心でしたが、その後1930年ごろには日系アルゼンチン人の3大職業「洗濯店」「カフェ店」「近郊農業」が中心になりました。

 第二次世界大戦中はアルゼンチンが日本に対して宣戦を布告し、アルゼンチンの日本人も財産が一時凍結され、日本語学校が閉鎖されるなどの辛苦を味わいましたが、戦後は移住が再開され、海外移住事業団(現国際協力機構=JICA)などの計画により農業移住も行われ、日本人移住者による花卉や野菜、果物の栽培が盛んになりました。2世、3世の時代を迎えた現在は日系人のアルゼンチン社会への同化も進み、その職業は多様化しています。日系社会は子弟教育への意識が高かったことから、医師や弁護士など高度教育を必要とする職業が比較的多いことが特徴に挙げられます。

 現在の在アルゼンチン日系人の構成を見ると、沖縄県出身者とその子孫が全体の8割と最も多く、次いで北海道、熊本などからの移住者が多く見られます。現在に至り、日本人の集団移民の時代は幕を下ろしましたが、近年は日本企業のアルゼンチン進出、就学・就労目的でのアルゼンチン人・日系人の来日、アルゼンチンにおける日本人旅行客の増加などで亜日関係がより密接になりつつあり、日系人が亜日交流の架け橋として活躍しています。

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